Scotch

スコッチのマイプロ発表動画。
【未来ラウンジでは、住人やゲストと共に、各自のライフヒストリーとマイ・プロジェクトを発表する場を設けています。】

スコッチのマイプロ発表を始めます
今やっているのは21世紀の大学づくりです。
アジア発のビジネススクールを作ろうということかなと思っています。
これは手段に過ぎないんですが、ばかもの道場、「ばかもの」を作っていくっていうのをやっています。

もっと日本を、自由にクリエイティブにということを考えているんですが、もうちょっと背景にあるものも色々あるなっていうのが最近わかってきました。

何屋さんかよくわからないなんでも屋さんです。最近では「たんそこ」って呼んでるんですけど。これは後で説明しますけど、器用貧乏でプログラマやってたりWEBクリエイターやってたりとか、SNSを開発したりとかしてました。
趣味で空手とカポエラを、うすーく長くやっています。
あと写真もうすーく長くやっていまして、音楽も好きですね。
ギターを弾いてたりベースを弾いてたりってのもしてました。10代くらいのことで最近もう、10年くらいのブランクが有るんですけど。
あとはヘリウムの会というのを主催しています。
これは軽くて安全な会話しかしない人たちの集まりっていうのをやってましてね、オモシロイんですけど。
あとは旅とかベルギービールをはじめとするお酒が大好きです。

こういうこと(マイプロ)を大学でも教えています。
これは大学で使ったプレゼンテーションなんですけど、(マイプロシートを指しながら)
ヒストリーに入って行きましょうかね。

まず、埼玉県は浦和市で生まれたんですけどその後すぐ北海道函館市に移動しました。
ご存知の通り非常に食べ物とかが美味しい場所でですね、冬は雪が降ってきて。海も近いし山も近いっていう素晴らしいところで育ちました。ここで僕の舌が作られちゃったんでグルメさんなんですね。

その後、小学校から茨城県牛久市というところに移動しました。
ここは非常に田舎でして、当時は市じゃないくらい、町でしたね。
裏山で秘密基地をつくれる森があったり。子供心に謎だなと思ってたんですけど、ヒミツ基地なのに全くヒミツじゃないじゃないかというのが、子供の頃の秘密基地ですよね。あれ謎でしたよねホント。
うちの秘密基地今度遊びに来てよー!みたいなこと言ったり、アケビをとって食べてうまいとやってた時代です。

小学校の高学年になると裏山がなくなりました。宅地開発で。
裏山は杉の木だったんですけど、一番でっかい杉の木2本だけ残して全部更地になったんですよ。
そしたらすごいんですよ、次の月から。もう、2本だけ残されたから、子孫残さないとって彼らも頑張ったんでしょうね、ものすごい花粉をこの2本から出して町内会中が花粉症になったっていう。環境問題っていうのを実感した瞬間だったんです。
このあと、小学校でちょうど本とかをよんで、核戦争の危機とか、原発で危ないとかいうのを読んだりしたのが多かったですね。四日市ぜんそくとかを知ったのはこの頃です。

その後中高一貫の私立校に行きました。
だんだんつまんなくなってきまして。特に、満員電車だったんですよ。で、満員電車に揺られるのも大変だったし、おじさんたちがあんまりおもしろくなさそうな顔をしているっていうのを毎日、見ていたんですね。この時資本主義というものを感じました。世の中平等ではないなということを感じたんですね。なぜかって言うと、うちは田舎の方からのぼって行って、要はラッシュに巻き込まれる方ですよ、それで学校があったんです。
ただうちの学校の半分以上の人は、逆に下ってきてたんです。彼らはまず、ラッシュと逆方向で楽に通学できた。
さらにうちの高校があった駅っていうのがターミナル駅だったんです、だからこのへんで言えば例えば、八王子とか高尾駅のこっち側とあっち側じゃ全然本数違いますよね。
大宮も。他どこでしょうね、例えば千葉とか。そういう感じだったんです。
僕らは本数少ないのにも関わらず混んでて、彼らは始発で楽に座って帰れるっていうようなことですね、それでやっぱり、東京を中心にヒエラルキーがあるんだっていうことをこの時悟ったわけです。10代って、服を買うだのCD買うだのですよね。田舎だとなかなか事足りないわけですよ。特に車がないと移動できないっていうこともあって、早く東京に出たいなと思っていたのもこの頃ですね。一方でやっぱり満員電車だけは乗らない生活を将来したいと思ったんです。

それで、学外でバンド活動を始めました。面白く無かったので。
あとは、ラジオ番組のオフ会をやっていましたね。今で言うオフ会なんですけど、当時はそんな概念もない中で勝手にリスナーさんが集まって、ラジオのスタッフとか、DJさん巻き込んでオフラインパーティーをやっていたんですね。そこでバンドで音楽やったりとか。そんなことをしている日々でしたね。

やっぱり学外の方が面白くて。
そんなこんなやってたら阪神大震災がありました。阪神大震災の1年後くらい、ちょうど今頃ですね、東日本大震災の時から考えると。
多くの人がボランティアにあんまり行かなくなってたりとか、メディアでも取り上げられなくなってきた頃に、色々問題提起があって、仮設住宅での老人の孤独死とかが叫ばれていた頃だったんですよ。まだまだ全然ボランティアが足りないってことで、ラジオのリスナーとかで行ったんです。これが初のバックパック旅行ですね。

茨城からバスに乗って神戸に行きました。そこで見たのが今で言うNPOの力だとか、市民FMの力だったんですね。あとパソコン通信、今で言うインターネットです。
やっぱり高校まではすごくある意味つまらなくて、行儀のいい、進学校でですね、校則も厳しく、東大に行けば幸せになれるってことしか教えない大人たち。基本的には個人競争なわけですよ。部活も盛んではないし、なんかつまらなかったわけです。
一方でこっちに、しかもそれの先にこう・・あの大人たちような通勤地獄があるのかと思うと、なにが楽しいんだろうということです。一方でこっちにいったら面白かったんですよ。助けにかなきゃって気持ちで行ったのに、逆に力をもらうとか、今でも東北に行ってる方たちは同じようなことをおっしゃいますけども。やっぱり、お互い助けあって生きてるんだなと。仕事というのはそういうものなんだなと。そんなことを子供の時にわかったんですね。
この時の経験が今のすべての始まりかなと、思っています。

一方でこれをラジオ仲間とかDJとかに説明したら、ボランティアという言葉をうまく説明できなかったんです。言葉というか、その時に起こったことを。
当時はまだボランティアは胡散臭いっていう理由で嫌だっていうアレルギーもあったし、一方でそうじゃない人たちの間でもボランティアとは自己犠牲であって、なにか学べたとか、得るものがあったとかじゃないっていう意見があった頃です。
でも実際に見てきたものって、ボランティアする側もされる側も平等だったし、人間味のあるものだった。でもそういうことはあんまり説明できなかったんです。
そんなこともあって、大学に入るのがいいなと思ってですね、当時こういう世界で生きてきたので、出る杭は打たれる的なものから常に戦ってきて、しかも外に出てったっていうところがあって、これは今のBADOの経験にも続いてるところなんですけど、そういうわけで心理学とかにも興味があったんです。
第一志望が立教と上智の心理学でした。第三希望だった慶應SFCというところに入ったんですけど、結果的にはすごい良かったですね。
ここは神戸で見てきたようなものを実際に勉強できたし、初めて出る杭は打たれるっていうことが無い世界、君は初めて息を吸えたということを言ってた人もいましたけれども、空気を読まない、読めないのかもしれないですけど、そういう人たちばかりが集まる不思議な場所でした。
今でもここの学習環境を広めたいっていうのが僕の根底にあるのかなと思います。
帰国子女ばかりで、酒に酔っ払うと日本語と英語を交互に喋り出す人がいたりとか、変なことがいっぱいある学校だっだんですけど。
そこで、神戸の体験があったのでメディアとかインターネットみたいなものが見たかったのと、あとはNPOにすごく興味があったので、アイセックっていう学生で運営している国際交流系のNPOに入りました。
その後は、ムライジュンていうミスターインターネットっていう人に出会ったりとか、つい最近まで文部科学大臣やってたスズカンっていう鈴木寛っていう人が今で言う社会起業みたいなことを言ってたんですけど、そういう人たちのゼミに入って、今で言うソーシャルメディアとか社会起業論っていうものを学んだりしました。
この頃、人材マッチングの研究を始めたんですね。SFCって色んな専門性にわかれてるんですよ。分かれているというか色んな専門の人たちがいる。ある特定の目的に対して動的にグループを組んで。プロジェクトのように。それで問題解決して実践の中で学びましょう、ていうことがポリシーなんですけど、実際、ポリシーで掲げていても年代が上がっていくと、学年が上がっていくと、ゼミの壁とかがあったりとかするんですね。
そうなっていくと、折角面白いプロジェクトがあっても、人材不足や人材が偏ってしまうことによって無くなってしまうっていうことがあったんです。
やっぱり学生なんで4年で変わるじゃないですか。例えば具体的な話をすると、今で言うクーポンサイト。学生が、ネットでクーポンを得ることが出来る、それで地元の商店街に学生がいっぱい遊びに来るようにしようっていうのを、地元の商店街と一緒にやってたんですよ。
かなり足も動かして、地元の商店街とも信頼関係のある素晴らしいプロジェクトだったんです。ただ、そのサイトの運営をするためのサーバーの管理者が、エンジニアがですね、卒業していなくなっちゃった、と。それでその後がなかなかうまくいかなくなった、ってことがあったんです。
そういうのって、もうちょっと人材を探せないかなって思って。その時考えだしたのが、当時MSNメッセンジャー、今で言うスカイプやLINEみたいなものなんですけど、友だちリストを入れてしゃべるぜっていう、チャットソフトがあったんですね。
それの、友達の情報を吸い出してお互い共有しようと。そうすると友達の友達まで探せるじゃないか、っていうようなシステムを作った。2000年の出来事ですね。これでSNSに入っていくんです。
ちょっとこれは古いやつですね、これが当時のマイプロです。
これ学生向けに説明してる奴なんで、今のマイプロではないんですけど。
当時の研究内容が、「学内の人捜しマッチングシステムを作り、普及させる」っていうマイプロをやっていまして、動機はそういうことです、良いプロジェクトでも卒業しちゃうよね、とか。
あとコピーバンド作りたかったのになかなかボーカリストがいなかったっていう理由もあって(笑) それでやったんですね。
せっかくいい大学、面白い大学に入ったのに、1年の時に親友に出会うのと4年で出会うのとだったら1年の時に出会ったほうがいいよねっていうようなこととか、それによって同じ場がどんどん楽しくなる、といったような価値が与えられる。そんなことをやっていました。

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